『正信偈』は、親鸞聖人が一字一涙の思いでしたためられた無上の宝典である。
「きみょーむりょー」と、子供のころから親しんできた『正信偈』の「意味を知りたい」と、本会の講演会に足を運ぶ門徒の方が今、急増している。
満席の講演会場
浄土真宗に起きつつあるこの流れは、尾張門徒で知られる名古屋で、まさに始まっていた。
9月、名古屋各地で開かれた講演会場を訪れると、いずれも満席か、立って聞く人が出るほどの盛況である。その半数以上が、案内チラシの『正信偈』の言葉に引かれて来た人たちだ。名古屋担当講師はそれについて、「名古屋は昔から、朝夕の勤行を欠かさなかった家も多く、『正信偈』の意味を知りたい人がたくさんおられるんです」と説明する。
森脇さん(62:仮名)もその1人。15歳で両親を亡くし、祖父母の元に預けられた森脇さんは、『正信偈』の勤行を厳しくしつけられてきた。だが当時、勤行は「死んだ父母のために」と思っていた。昨年夫と死別し、何をしてもむなしく悲嘆に沈む中、『正信偈』と書かれた1枚のチラシが目に留まる。懐かしさから、ふと出掛けてみたのが本会の講演会だった。
「『帰命無量……』の冒頭の2行の意味についてでした。あの『正信偈』に、私の、この心の救いが説かれていたなんて……」
その時の感動は忘れられない。以来欠かさず聞法し、今年6月の親鸞聖人降誕会にも参詣した。
参詣者は異口同音に、「分かりやすい」と口にする。寺にもよく通っていたという60代の男性は、「ここではお聖教のご文を示し、一語一語、説明してくださる。こんな説かれ方は寺ではなかった」と感嘆する。
またある門徒総代は、「寺は門徒の浄財で建てたのに、ちっとも開放しない。ずーっと『正信偈』の勤行をしてきたが、意味は全然聞かせてもらえなかった」と不満を漏らす。教えを求める門徒の声にこたえていない寺の実態が浮かび上がる。
広がり続ける法輪は、阿弥陀仏の後押し以外にないが、参詣者の疑問に、懇切に答えてきた点も見逃せない。
この日は講演会後、ある親子が、「もっと聞きたい」と、夜6時から9時まで、講師と質疑応答を交わしていた。
「雑行とは」「入正定之聚の意味」など、『御文章』に関する質問に、講師がすべて丁寧に答える。積年の疑問の晴れた親子は満足そうに帰っていった。

名古屋城
『正信偈』の意味 分かりやすく
一昨年の正月、寺の住職が、「大事なことが10ヵ条あるから」と内藤さん(80:仮名)の自宅を訪れた。
「何が大事なんですか?」
尋ねる内藤さんに、亡くなった場合の連絡先、葬式の費用や遺産の処置の取り決めなど、10ヵ条が並べられた。
「ご院さん、変じゃありませんか。後生の一大事こそ大事なのでは?」
と問い返すと、住職はさっと話題を変えてしまった。
「私の後生の行き先より、土地や財産の行き先が心配なのかしら?」。そんな不審を感じつつ、「これでは寺はどうなるのか」と悲しく思った。
内藤さんの家は、本願寺法主が地方巡教の際、宿にしたほどの、代々有力な尾張門徒の家である。実家も、勧学など有名な講師を招いて法話を開く、篤信家の家で知られていた。
父は道心堅固な同行で、8人の子供たちに、仏法を残そうと真剣だった。米寿を迎えた年には、集まった子供に、『真宗聖典』と「後生一大事と存ずる人には御同心あるべきよし仰せられ候(蓮如上人)」と書かれた色紙が渡され、その裏には、弥陀をたのむ身になったという告白と、「上人の御意を仰ぎ、信心決定せられんことを念じます」との願いがしたためられていた。さらに父は臨終息が切れるまで、周りの人へ聞法を勧めていたという。
その影響か、結婚後も寺へはよく通った。だが、「最初の5分が仏教で、後は嫁姑や夫婦喧嘩の話ばかり。そんな説教つまらないから、もう聞きたくない」と、住職に苦言を呈したこともある。
4年前、本会の講演会に参詣するようになり、初めて後生の一大事の意味を知った。同時になぜ父が、あれほど熱心に信心を勧めていたかもうなずけた。
今は高森先生より、『正信偈』の意味を聞かせていただけるのが何よりうれしい。幼少のころ、家族そろって勤行していた光景が、ふと脳裏をよぎる。「何も分からず勤行してきましたが、そのお言葉の意味が、やっと少し分かってきました」
時折、親鸞会発行の新聞を寺に持って行くのは、「まず寺に変わってほしいから」。代々続いた「尾張門徒」の切なる願いが込められている。
釈迦と弥陀の違いを知った
何を、どう信ずべきか。
『正信偈』には正しい信心が明らかにされている。
「門徒の家に生まれ、『正信偈』に親しみながら、聖人が仰がれた阿弥陀仏について何も知らなかったんです」。北山さん(63:仮名)は、新興宗教に迷った長い歳月を悔やむ。
昭和41年、男の子欲しさに、伯母の勧めである新興宗教の行を実践した。間もなく男の子が誕生し、以来、それを信ずるように。釈迦がいちばんの仏で、どんな願いもかなえてくれると聞かされた。活動では先陣を切り、100名以上を引き入れ、支部長代理にまでなる。
ところが6年前、知人より『王舎城の悲劇』の話を聞く。わが子欲しさに迷信に陥るイダイケ夫人が自分と重なる。心引かれて、親鸞聖人の映画を見ると、「一向専念無量寿仏(阿弥陀仏に一向専念せよ)は、釈尊の至上命令です」と叫ばれていた。
「そんなはずは……」
もしそうなら、多くの人を迷わせたことになる。その責任を思うと恐ろしく、親鸞聖人の教えを聞かずにおれなくなった。
平成10年、初めて名古屋の高森先生のご法話に出掛け、そのご説法に射抜かれた。阿弥陀仏が本師本仏。釈迦もその他の仏も弟子である。
「向かうべきは阿弥陀さまだったのか。お釈迦さまではなかった……」
誤りに気がついた北山さんは、新興宗教をきっぱりとやめ、さらに自分が誘った人もことごとくやめさせた。その新興宗教は怒り心頭。「災難が起きる」と脅してきたが、「阿弥陀さまはすべてお見通し。お任せしていますから、何の心配もありません」と動じなかった。
「新興宗教には元門徒がたくさんいます。皆、何も聞かされてこなかったから」
釈迦と阿弥陀仏の違いも聞けぬ寺の現状を嘆いていた。

名古屋中心部の町並み
後生の一大事 知らされた
江本さん(70:仮名)は、幼稚園の時に得度を受け、『正信偈』は、高校生のころまで毎日拝読した。「死ねば極楽」を信じていたという。
還暦を過ぎ、後生の心配はないはずなのに、「こんなことしていていいか」と、不安な心が広がった。
そんな時、案内チラシを縁に、本会の講演会に参詣し、後生の一大事を知らされた。
「今ごろこんなこと聞かされても……」と最初当惑したが、捨ててはおけぬ問題だった。
寺へ行き、「後生の一大事」を尋ねると、「後生とは今。今が大事と心得て、今を幸福に生きよ」との返事。「こんな大事なことをいいかげんな」と、腹立たしく、もう寺など行くまいと思った。
高森先生より、『正信偈』の冒頭2行について、「親鸞、後生の一大事を、阿弥陀仏に救われた」という大歓喜のお言葉と聞き、「そんな意味だったのか」と感動した。
「なぜ寺は、後生の一大事を説かないのか。危ないところでした」
と、仏縁を喜んでいる。
なぜ生きる 『正信偈』で分かった
「『正信偈』の〈帰命無量寿如来、南無不可思議光〉のあの2行に、人生の目的が完成したという平生業成の御心がおさまっていたとは、ただただ驚きです」
大阪府の山田さん(50代:仮名)は、今年9月、初めて親鸞会館に参詣し、『正信偈』の冒頭の意味が分かった喜びを語った。
『正信偈』を7年間、ずっと拝読していたという山田さんは、その意味を知ろうと、何度も寺へ足を運んでいた。
「大学教授とかが話をするのですが、難しいことしか言わなくて……。聞いていてもサッパリ」
子供が独立し、後は死ぬのを待つだけと思うと、無性に寂しく、何のために生きていくのか、ずっとモヤモヤしていた。
そんな時、目に飛び込んだのが、街頭で学生が配っていた講演会の案内チラシである。1枚受け取り、自動販売機の明かりで見た「なぜ生きる」の文字にくぎづけになった。近くの学生が気づいて会場を説明し、翌日一緒に講演会へ。
「会場の若い子が皆『正信偈』を持っているのにビックリしました」
親鸞会館へ参詣したのは、その1週間後のことである。「若い人が大好き」と語る山田さんは、ご法話の翌日も、学生に交じって教学勉強会に参加。「もう少しも寂しくないですよ」の言葉に笑顔がはじけた。

